夢白夜

昨日の新緑の頃の狂おしい気持ち、

書きながら思い出したのは、

愛のお話し百話。

ひとつめ、昭和の頃、

 

木々は翡翠色、

夜にも明るい新緑の光る季節、

赤い襦袢を着た幽霊が出ると近所で噂になり、

私の祖母は(私は生まれてない)

神社の氏子の集まりの帰りに、

灯籠を掲げて同じ氏子(当時は30代)の友達と

怖々帰宅の途中だった。

大きな屋敷の角に差し掛かると、

松の大木のそばで女の啜り泣く声が聴こえる。

お屋敷の奥様だった。

「返して返して」と緋の襦袢の女が

髪振り乱して祖母達にしがみつくので、

声を上げて叫ぶと、屋敷の番頭さんが来て、

奥様を取り押さえた。

妾の元にご主人が行ったまま帰らず、

気がふれてしまったのだと、後で聞いた。

日中はキリリと髪を結い一糸乱れぬ奥様が、

新緑の夜、咽せるような木々の若々しい香りに、

狂う時季、

愛娼妓が着るように、

裸足で緋色の襦袢を着て、

胸も露わな姿になれば、

自分の元に戻って来るのではないかと、

想い詰めたのだろうと。

 

その後、何十年経て、

お屋敷に戻り、好々爺になったその屋敷の主人と、

歳を重ねて白髪になった奥方の2人が

お互いに身体を支え合う杖になり

仲良く歩いている姿を、私は見た。

キリリとした奥様だったとは思えぬ、

年老いて少女に戻った薄色の眼をしていた。

それほどに焦がれるものだろうか、

不思議だった。

 

新緑は女を狂わせる、

祖母に聞いた夜咄。

今は皆、

天界の新緑を穏やかに楽しんでいる事だろう。